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【続報】犯人は「聖地巡礼」するなど熱狂的ファン?憎悪は愛情の裏返し? 京都アニメーション放火事件

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photo 宇治川沿いの桜/ゲタゲタさん https://www.photo-ac.com/profile/812768

7/21の記事で「何の関連性も対応策も見つからない」と

書きましたが、しだいに事実関係が明らかになるにつれ

一つだけ発生要因のようなものが見えてきました。

と言ってもかなり漠然とした話になってしまいますが。

 

犯人は放火を実行するまでの約3日間、ガソリンなどの準備や

犯行の下見のほかに、京アニの作品中で物語の舞台となった、いわゆる

「聖地」を数か所めぐっていた姿が防犯カメラ等に残っていました。

これは特に強い思いを寄せるファンの行動以外の何物でもないそうです。

 

以下の記事によると、近年このディープなファンの中でも

製作現場に押し寄せたり、現場見学に紛れて原画や仕事道具を盗んだり

問題を起こす例が増えているそうで、何年も前から現場は

ファンのエスカレートに危険を感じていたそうです。

<参考記事>

京アニ放火事件の闇 SNS普及でアニメーターめぐるトラブル増(NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース

 

でもちょっと待ってください!

熱狂しすぎたファンが問題を起こす?危険?

これってトップアイドルやアーティストと同じじゃないですか?

それなら昔から何度もありますよね。

NGTもAKBも、松田聖子もジョンレノンも・・・

これまで対象が実在の人物だったのが

ついに異次元の世界へ進出してしまったのか。

 

私たち一般人にはとうてい理解できませんが、

特定の人物に対する愛情が高まるあまり、どこで思考回路が

組み違ってしまうのか、いつしか攻撃対象になってしまう。

それにしても、犯人が愛情を寄せるアニメキャラに

関わっていないスタッフまで含めた35名もの命を、

高い計画性をもって一瞬で奪ってしまったこの事件は

理解できないとしか言いようがありませんが。

 

利害関係による対立や、金品、権益をめぐる争いだったら

ほんとうに有りふれた話なのですが

もしかするとそれよりも「自身の愛情を受け入れてもらえなかった」

「愛情を注いできたのに裏切られた」というケースの方が

憎悪に転じた時の度合いが激しいのでしょうか。

 

ある対象に強い愛情を注いでいる時、それ自体が自身の存在意義で

あるかのように思い込んでしまう傾向があるそうです。

するとその対象を突然失ったり拒絶された時、

自身がこの世に存在する意味を失った、奪われたと感じてしまいます。

常識やモラル、後先のこと、何も考えられなくなってしまうのかも

知れません。

 

話を放火事件に戻します。

犯人の背景、環境についても新しい情報がありました。

<参考記事>

《京アニ放火》第2の事件後、容疑者の部屋に入った管理人による「衝撃証言」(週刊女性PRIME) - Yahoo!ニュース

 

犯人が子供のころから両親が離婚、再婚を繰り返し

受けるべき時に親の愛情を十分に受けられなかったようです。

その後、親交のあった父親も生活苦で自殺したそうです。

それが大きなショックだったのか、引きこもりがちになったようです。

 

ここまで読んでこう思った方はいませんか?

「どんな背景、環境だろうとけして許される犯行ではない」

当然です。なんら情状酌量の余地はないでしょう。

それでも私が言いたいことは、

5月の川崎の殺傷事件の時も「こんな不条理な事件をなんとしても

減らしていかないといけない」と思いませんでしたか?

 

川崎の犯人も子供の頃に両親から手放されています。

似たような生育環境と言えます。

人として産まれれば誰だって当たり前の、親からの愛情を受けたり

何らかの対象に愛情を注ぐ充実感、それらが

「いつか壊れて無くなるもの」「報われないもの」という意識が

強く彼らに根付いているとしたらどうでしょう?

一つの共通点、犯行の要因と言えないでしょうか。

 

子供を産み育てる環境として、たとえ低収入であっても

安定した生活基盤と、明るく平穏な家庭、こんなどこにでも

ありそうなごく普通のことがいかに重要かということです。

でもそれさえ難しくなりつつある時代のようにも最近は感じます。

 

私たち日本人は戦後の復興を乗り越え、自由を手に入れました。

誰もが幸せになれる「はず」でした。

しかし自由の代償として複雑になり過ぎてしまったのでしょうか。

争いや惨殺の絶えない世の中になってしまいました。

私たちは絶対に間違いなく、どこかで何かを間違えてしまったのです。

 

漠然とした問題ではありますが、これらから目をそらしてしまう人が

増えるか、正面から向き合う人が増えるか、

私たち大人は子供たちに良い時代を引き継ぐことができるでしょうか?